ゲーム開発というのは、誰かに見せるためにやっているようで、
実は「誰にも見られない時間」にすべてが詰まっている。
Godotエンジンを起動し、真っ白な3D空間に、
床を置いて、玉を置いて、それだけのシーンを作った日。
画面上では何も特別なことは起きていない。
ただ、丸いボールが、傾いた床をゆっくり転がるだけだ。
けれどその瞬間、僕の中では確かな感動があった。
コードは短い。スクリプトも最低限。
知識も足りないし、理屈もよくわからない。
でも、「自分で動かした」という手応えだけが、心にずっしり残った。
この時間が、誰かの拍手を集めるわけではない。
SNSでバズることも、仕事になることも、今はない。
ただの試作。たった一つのボール。
けれど僕は、その小さな世界に、何度も立ち返っては、
床を調整し、衝突判定を調べ、うまくいかず、またやり直す。
ーーこの誰にも見られない時間こそが、僕の財産になっていく。
昔は、ゲームは「遊ぶもの」だった。
時間を忘れてプレイし、次の面へ、次の世界へと没頭した。
でもある日、気づいた。
どのゲームも、似たような構造、似たような広告。
刺激はある。でも、記憶に残らない。
なにか物足りない。
その時ふと、
「自分で作ったらどうだろう」
という気持ちが芽生えた。
誰かの作った世界に入るのではなく、
自分の内側から世界を生み出してみたいと、
不思議な衝動が湧いてきた。
最初の壁は、「エンジンを開くこと」だった。
専門知識が必要だと思っていたし、
開発者なんて、自分とは遠い存在だと思っていた。
でも、やってみると、案外いけた。
というより、やってみたからこそ、やりたくなった。
完成なんて見えない。
どこまでやれば「出来た」と言えるのかもわからない。
でも、手を動かすたびに、自分の輪郭が浮かび上がってくる。
この一行を追加すれば、
玉はもっとスムーズに転がるかもしれない。
この角度を少しだけ変えれば、
ゴールへの道筋が変わるかもしれない。
そんな想像と実装の行き来が、
まるで小さな旅のようだった。
誰にも見られていないこの時間が、
確かに僕を育てている。
うまくいかなくてもいい。
派手な成果がなくてもいい。
静かに積み重ねていけば、
「まだ見ぬ自分」に出会える気がする。
この開発は、ただの趣味ではない。
「つくる」という行為を通じて、
僕は今、自分の中にある静かな火を灯している。
評価されたい気持ちも、もちろんある。
けれど、それ以上に、
「やっている自分」が好きになれるこの感覚が、
なにより大切だと思える。
ゲーム開発という挑戦は、
手応えのない日々の連続でもある。
でもそれは、確かに前に進んでいる証拠だ。
神経のどこかが、微かに進化している。
昨日の自分より、今日の自分の方が、
ほんの少しだけ強くなっている。
それで、十分だ。
たった一人のためでもいい。
誰にも評価されなくてもいい。
この「見られていない時間」こそが、
僕にとって、いちばん価値のある時間なのだから。