ただ、向き合った時間を、誇っていい。
成果が出ないとき、私たちは「今日は無駄だった」と言いたくなる。
進まない日があってもいい。
でも、ほんとうにそうだろうか。
画面の前で悩んだ。
何度も消しては書き直した。
考え込んで手が止まった。
でもそのすべてが、“進もうとした証”じゃないか。
前に進まない日は、
自分の中の抵抗と、じっと向き合っていた日だ。
すぐに結果が出ないと、不安になる。
まわりと比べて焦る。
けれど、見えない根は、
見える枝よりも先に伸びている。
大きな進歩は、いつも“静かな時間”の中で芽を出す。
向き合った時間があるなら、それだけでいい。
自分をあきらめなかったという記録が、
次の一歩を支えてくれる。
努力とは、派手な前進ではなく、
小さな停滞を耐えた記憶の積み重ね。
だから、進まない日こそ誇っていい。
今日という時間を、自分に投資したという事実を。
完成を目指すのではなく、
積み上げているという“感覚”こそが、
私たちを支え続けてくれる。
「今日も手を動かした」
それだけで、もう十分。
それが、自分の人生を前に進める
静かな力になっていくのだから。