- 知ることの意味が変わった かつて、知ることは知識を増やすことだった。 本を読み、情報を集め、頭に詰め込む。 でも今、AIは数秒で教えてくれる。 知らないことに出会っても、調べればすぐに答えが見つかる。 それなのに、なぜ僕は、まだ知ることに飢えているのだろう? AIが答えをくれるからこそ、逆に自分に問いたくなった。 自分は何を知らないのか この問いの奥にあるのは、知識ではなく、実感と納得だった。
AI時代に問う、静かな積み上げの意味
知っていても動けなかったこと 僕は何度も、知っているけど行動できないという壁にぶつかってきた。 育児、家事、仕事、年齢、環境…。 言い訳を探せばいくらでも出てくる。 けれども本当は、 やらなかったのではなく、やれる形にしてこなかっただけだったのかもしれない。 だから、学ぶことが逃げになっていた。 学んだ気になって終わっていた。 でもある日、Pythonとコマンドプロンプトを使って文字起こしをするプログラムを導入してみた。 わからないことだらけで、エラーばかり。 それでもAIに質問し、何度もやり直し、最後には動いた。 その時、胸に湧いたのは達成感ではなく、 納得感だった。 知らないことに触れ、動いてみたことで、たしかに自分は前に進んだのだと感じられた。
- 納得感という小さな証明 人からの評価はあとでいい。 自分の中にこれでいいと思える小さな納得感。 それが、今の僕にとって一番大きな報酬だ。 人から褒められる前に、自分で納得していたい。 だから、1日のスケジュールの中に自分との対話を必ず入れている。 日記を書き、問いを立て、自問自答する。 そこにこそ、自分が育っていく足場がある。
- 問いを持ち続けるという生き方 問いは、自分が生きているという証なのかもしれない。 これはなんだろう。どうすれば良くなる。 自分はどこに向かいたいのか 問いは、答えよりも先に動く。 だからこそ、問いを持てる限り、僕は立ち止まらない。 孤独になるときもある。 答えが出ない日もある。 それでも問いを持ち続けられることが、自分にとっての生きがいになっている。
- 知ることは自由になること 知ることは、自由になることだ。 自分の意思で考え、 自分の選択で動けるようになること。 縛られた常識や、他人の正解ではなく、 自分にとっての正しさに近づいていくこと。 僕はまだ何も知らない。 でも、知らないことを知ろうとする自分を、少しだけ誇りに思っている。
- AI時代に、僕に残るもの AIがどれだけ賢くなっても、 納得することだけは、自分の心にしかわからない。 だから僕は、静かに積み上げる。 毎朝のノート、日々の問い、自分なりの行動。 派手じゃない。 だけど、確かに積み上がっている。 それが、AI時代を生きる僕の、人間としての答えかもしれない。
里追記:このエッセイを読んでくれるあなたへ 問いはいつも、静かに始まる。
だからこそ、焦らず、誤魔化さず、 向き合っていこう。
知らないことがあることは、恥ではない。
それはむしろ、これから生きていく余白なのだから。