9月16日(火):流れに任せることも技術である。

流れに任せることも、技術の一部である
ちゃんと考えてから始めよう。全部決めてからじゃないと動けない。そんなふうに、完璧を求める人は多い。

そして、その多くが、一歩を踏み出せないまま終わってしまう。けれど、僕は思う。流れに任せることも、立派な技術だ。

決めすぎない。整えすぎない。先を見すぎない。そのゆるさが、むしろ創造の土壌になることがある。

完璧主義は、創造を止める
正解を求めすぎると、動けなくなる。失敗しないようにと思えば思うほど、目の前の選択が怖くなる。

人生も創作も、そもそも正解なんて存在しない。むしろ、流れに乗って動きながら、ああ、これで良かったのかと気づくことの方が多い。

スタート時点で完璧を求めることは、地図を見ながら泳ぐようなもの。それよりも、目の前の波に乗る力を磨いた方が、ずっと実践的で、柔軟で、前に進める。

整いすぎている人は危うい
逆説的だけど、整いすぎている状態は、むしろ脆い。予定通りにいかないと焦るし、変更やズレに対して弱くなってしまう。

一方で、まぁ、流れに任せようと考えている人は強い。予定変更も、外部要因も、自分の中で受け止める余白があるから。

僕自身、完璧な台本より、メモ程度の構成で話す方が、いい放送ができることが多い。それは、流れの中に生きた言葉があるからだ。

不完全であることが、ちょうどいい
たとえば、スケッチ。最初から完成品を描こうとすると手が止まるけれど、ラフに描き始めると、かえって自由な線が出てくる。

音楽も同じ。即興で流すメロディーに、意外な発見がある。仕事だってそう。完璧な企画より、ラフに始めた試作の方が、反応がいいこともある。

大切なのは、やってみながら整える感覚。流れに任せて動くというのは、いい加減ではなく、むしろ高度な技術なのだ。

流れを信じる力は、自分を信じる力
流れに任せて大丈夫と思えるのは、自分を信じているからこそ。何が起きても、なんとかなる。
ズレても、修正できる。未完成でも、進めば完成に近づく。

そんな根っこの自信があるから、流れに乗ることができる。逆に、不安なときほど、ガチガチに固めたくなる。先を見すぎて、全部計画しないと不安になる。

でも、その不安ごと飲み込んで、揺らぎながら進むことを選べる人が、長く、楽しく、創り続けていける。

僕たちは、流されるのではない
ここで大切なのは、流されるのではなく流れに任せること。流されるのは、他人の意見や社会の風潮に押し流されること。

流れに任せるのは、今の自分の感覚を信じる選択だ。意志がある。でも、固執しない。変化を受け入れながら、前に進む。

この柔らかさこそが、今という時代に必要なしなやかな強さだと思う。

意図せず、たどり着く場所もある
僕がいま続けている習慣や発信も、最初からこの形にしようと決めていたわけじゃない。

日々の中で、これ、いいな。ちょっとやってみよう。そんな流れに任せて動いた結果、いまのスタイルができあがってきた。

それが続いているのは、無理がないからだ。流れに乗るように、自然に。水のように、かたちを変えながら。そのほうが、案外うまくいく。

流れに任せることは、
今の自分を信じる技術である。

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