評価されない努力に意味はあるか?
これは誰にも気づかれてない気がする。日々努力を続けていると、ふとそんな感情がよぎる瞬間がある。
誰にも見られていない、誰も褒めてくれない、数字も伸びない。自分がしている努力は、無意味なんじゃないか?そう思ってしまう日が、必ず来る。
僕は、こう思っている。評価されない努力こそ、自分を変える力を持っている。
なぜ僕たちは評価を求めるのか?
SNSの時代、ぼくらは誰かの反応に慣れすぎている。いいね、RT、コメント、レビュー。ちょっと何かすれば、すぐに反応が返ってくる。だからこそ、反応がない=意味がない。そう錯覚してしまう。
ここに落とし穴がある。努力は、誰かの拍手のためにするものではなく、自分を育てるためにするものだ。反応がないからといって、その努力が価値がないわけじゃない。
むしろ、反応がない中で続けた努力こそ、反応の有無に左右されない自分をつくる。
評価されない努力が、人生を変える
僕自身、毎日の積み上げをブログやSNSで発信してきた。最初はまったく見られなかった。書いても書いても、誰も読んでくれない。
やめなかった。なぜなら、誰かに評価されなくても、自分がやりたいことだったから。するとある日、急に誰かが気づいてくれるようになった。
努力って不思議で、続けた後にしか意味が見えてこないものなんだ。
誰のためでもなく、自分のためにやる
ここで大事なのは、努力の起点をどこに置くかということ。誰かのため?数字のため?承認のため?全部否定はしない。でも、それだけだと疲れる。
なぜなら「他人の評価」は、自分でコントロールできないから。評価されないときほど、自分が信じてるかどうか?が問われる。だからこそ、努力の起点はこうあってほしい。
これは、今の自分にとって必要な行動なんだ。その内側からの納得が、他人に見られなくても、続けられる強さになる。
他人からの評価より、自分からの納得
僕がよくやる習慣のひとつに、自分で自分の努力を褒める時間がある。
たとえば、
・今日は1ミリでも前進できた
・昨日より少しだけ丁寧に作業できた
・気が進まない中でも手を動かした
こんなふうに、小さな達成を自分の言葉で肯定してあげる。これがめちゃくちゃ効く。
なぜなら、他人の評価より先に、自分が自分を見ているという感覚が持てるから。これがあると、外からの反応が薄くても、メンタルが崩れにくい。
続けるほど、意味は後からついてくる
努力は種まきに似ている。今日蒔いた種が、すぐに芽を出すことはない。見えないところで確実に根は伸びている。
僕がブログで成果を出すまでに、2年以上かかった。ほとんど読まれてなかった。でも、やめなかった。その時の努力が、後になって効いてくる。まるで、タイムラグのある貯金のように。
だからこそ、今、意味が見えない努力こそ、未来に効いてくると信じたい。報われなさに耐える力が、本物をつくる。
正直に言おう。努力って、めちゃくちゃ孤独だ。評価されない日々が続くと、心が折れそうになる。もうやめようかなと思う日もある。
その報われなさを超えた先に、本当に信頼される人間になれる。なぜなら、評価があってもなくても、自分の信じることを貫いた経験は、他人に言葉では伝えられない重みになるから。それが信頼に変わる。
意味のある努力は、最初は意味がないように見える。評価されない努力が、いちばん自分を育てる。だから、すぐに評価されなくていい。他人が見ていなくてもいい。
数字が出なくても、落ち込まなくていい。毎日の小さな積み上げは、あなたの未来の信頼資産になっていく。誰かの目に触れる前に、自分の心がそれを見ている。それで、十分じゃないか。