完成のない世界に生きる
人は「完成」を求めてしまう。
それは、安心したいからだ。
不確かな道に立ち尽くすより、
「これでいい」と思える場所に留まっていたい。
完成とは、終わりであり、区切りであり、
脳にとっては最も好ましい「安全地帯」だ。
けれどそれは、あくまで幻想だと
最近の私は、ようやく思えるようになってきた。
完成は「静止」だ。
そこに動きはない。
つまり、変化が止まるということ。
たとえば、誰かにとって完璧な作品も、
数年後には古く感じられたり、
時代遅れと評価されたりすることがある。
そのとき、完成とは何だったのか。
完成とは、その瞬間の納得にすぎない。
時間が進めば、環境も変わる。
人の価値観も、見える景色も、全部変わっていく。
だからこそ、完成を目指すのではなく、
「積み上げ続けること」に意味があるのではないかと、
最近の私は感じている。
創作も、育児も、学びもそうだ。
終わることはない。
終わらせたときに、成長も止まってしまう。
むしろ、未完成のまま、
手を動かし続けることにしか本当の喜びはないのだと思う。
もちろん、達成感は必要だ。
小さなゴールをいくつも積み重ねながら、
歩き続けていくしかない。
けれどそれは「完成」ではない。
まだ続けたいと思えるからこそ、価値がある。
完成という幻想を手放せば、
自分にとって必要な「深み」がやってくる。
焦りも比べる気持ちも少しずつ消えていく。
誰に追いつく必要もない、
誰かの評価を気にすることもない。
ただ、目の前のことに向き合い、
その中にある小さな変化を拾い集めていく。
そうやって積み上げた日々の中にこそ、
本当の意味での「高み」があるのかもしれない。
「完成しなくていい」
それは、立ち止まるなということではない。
むしろ、今のままでも手を動かし続けられること。
それが、誰にも奪えない自由であり、
自分だけの「希望」だと思っている。
完成しないことを恐れず、
今日もまた、静かに積み上げていこう。