作ることは、忘れていた遊び心を取り戻すことだった
子どもの頃、理由なんてなかった。 ただ、描きたいから描いていた。 ただ、作りたいから作っていた。
あのころは「上手に作る」ことよりも、 「夢中になる」ことが何よりも大切だった。 完成なんて、どうでもよかった。
気づけば大人になり、
効率や成果ばかりを気にするようになっていた。
ゲームは遊ぶもの、
そう決めつけていた頃がある。 けれど、何本プレイしても
どこか心が満たされなかった。
気づいたのは、
遊び心が、置き去りになっていたこと。
広告が多すぎて、
似たような展開ばかりで、
ただ「消費するだけの時間」に
疑問を感じ始めた。
そのときふと思った。
「もし自分で作れたら?」
そこにあったのは、
好奇心という名の遊び心だった。
エンジンを開いたとき、
意味もなくワクワクした。 何ができるのか、わからない。
でも、それが面白かった。
完成を求めることより、
今、手を動かしているこの時間こそが、
自分の心を取り戻す時間だった。
思えば、遊び心とは、
“うまくやろうとしない心”だったのかもしれない。
誰にも見せる予定がなくても、 記録に残らなくても、 ただ、自分のために作ってみる。
その静かな時間の中で、
懐かしい自分と再会できる。
忘れていた“あそび”は、
静かに、でも確かに、
人生をもう一度軽くしてくれる。
あなたの中に眠っている
遊び心は、今、どこにありますか?