9月24日(水):目標は完成だけど、完成させない方が良い?

完成を遠ざけることで育つ余白
完璧に仕上げたいという想いは、多くの人に共通する創作の願いです。僕はあるときから、あえて完成を遠ざけることに価値を感じ始めました。それは、未完成の中にこそ余白があり、その余白が、成長や対話を生むからです。

完成を目指すと、動きが止まる
人は完成をゴールだと思いがちです。たとえば、ブログ記事。音声配信。映像作品。どれもこれで完成だと思った瞬間、なぜか投稿する手が止まることがあります。

なぜでしょうか?答えはシンプルで、完成=ジャッジされる瞬間だからです。人の目に触れ、評価され、比較される。だからこそ怖い。だからこそ、もう少し直したくなる。その結果、ずっと編集して、出せなくなる。完成という言葉が、自分を縛ってしまうのです。

余白があるまま出すという選択
そこで僕は、考え方を変えました。完成させないまま、出してみようと。たとえば、こんな言葉を添えて発信します。まだ途中ですけど、今ここまできました。作りながら整えてます。この辺りに違和感がある気がしてて、よかったら意見ください。不思議なことに、そう伝えると、見てくれる人の目も優しくなります。そして、未完成のままでいいんだと感じてくれる人が、少しずつ集まってくる。これは共感の芽です。完成ではなく、成長の途中で見せることで、人と人がつながれる。

未完成は関係性を生む
完成された作品には、美しさがあります。けれど、完成されたものには、入り込む隙がない。一方で、未完成のものには、対話の余地があります。

たとえば、ここの色味、どうするか迷ってます。この展開、他の選択肢もありそうですか?そういう余白があると、人は自然と私ならこうするなと思考をめぐらせる。

そして、コメントをくれたり、感想をくれたり、気にしてくれる。つまり、未完成のまま出すことは、一緒に作るという関係性を育てるのです。

完成の手前が、いちばん豊か
創作には、手を止めたくなる瞬間が必ずあります。ここが納得いかない。なんだか整ってない。でも、それが育っている証拠です。

実は、完成に向かう途中が、一番創造性にあふれた時間なんですよね。仮説を立てて、試して、直して、また戻ってくる。その試行錯誤の中にこそ、自分の感性が磨かれていく。

だから、僕はこう考えます。完成を急がず、あえて遠ざけてみよう。余白を持ったまま、何度も見直してみよう。すると、そこに今の自分らしさが現れてくる。

完成させないのではなく、完成を見極める
大切なのは、完成させないことではありません。完成のタイミングを、自分で見極める力を育てることです。その感覚は、余白を意識する力と深くつながっています。

ここまで整えたら、一度出してみよう。反応を見て、また磨いてみよう。何度でも戻って、整えていけばいい。そんなふうに、自分の中に見極めの感性を育てていくこと。長く創作を続けるうえで、最も大切な技術だと思います。

完成とは、途中で止めること
僕の好きな言葉に、こんな一文があります。完成とは、それ以上いじれなくなった瞬間ではなく、ここで止めると自分で決めた瞬間である。

どんな作品にも終わりはありません。音声でも、記事でも、イラストでも。どこまでも改善できる。どこかで一旦、ここで区切ると決める。

その区切りの感性は、きっと経験の中で育っていきます。だからこそ、焦らなくていい。未完成のまま、今日も手を動かす。その積み重ねが、作品を育て、自分自身の表現を育てていくのだと思います。

質問🙋
👉未完成で育てているものを教えてください。

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